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FはJ通信のベテラン経済記者でN銀取材の経験も長い。
満州からの引き揚げ経験があるという点で、N銀の実力者である前総裁、Mと共通点を持ち、実際にMとも親しい。
さらにFはC銀行の報告を受けて、法案整備を担当した大蔵省の金融制度調査会の委員でもあった。
同調査会でFは、大蔵省の〃改悪〃圧力を批判する論陣を張ったことで、Fの信頼も厚かった。
ただ、Sのほうは戸惑った。
自分は労働経済学の専門家だ。
学者だけに、専門以外の分野には軽々に口出しできないと思ってきたからだ。
正直、金融政策について、十分な知識があるわけでもなかった。
「お断りします」と言ったが、Fは食い下がった。
金融のプロだけで政策を決めるのではない、経済全体の政策論議をするので、労働問題や家計の生活問題などが金融政策にどうつながるかなどで意見を言ってもらえばいい。
Fの口説き文句に、篠塚の心は次第にほぐれていった。
S自身、当時、学内で続いていた大学改革を巡る議論と交渉に追われ、自らの研究活動が十分できない状況にうんざりしていた面もあった。
もっと生産的な仕事をしたいとの思い。
それにFが説明する「国の全体の仕事」という、自らの研究活動を一気に飛び越える領域への魅力も感じ始めていた。
もっとも、U同様、審議委員は兼業禁止で、委員に就くなら大学教授の座を辞めなければならない点では苦悩した。
すでに新学期に自分が受け持つ大学院生も決まっていたためだ。
学生たちを立ち往生刊行物に書いた時論があった。
Fはその文章に何となく心を引かれ、発行元がJ通信社だったことから、同社記者のFに尋ねたのだった。
偶然だが、FとSは別の勉強会等で顔なじみだった。
Fの話を聞いて、Fも合点がいった。
「そうだ。
彼女はフレッシュでいい」。
早速、Fの紹介で、FはSと〃デート〃する。
柔らかだが、物おじせず、考え方に芯のある持ち主であることを感じ取ったFは、これはもう彼女を口説き落とすしかないと確信した。
させるわけにもいかない。
自分の代わりに学生を指導する教官を急遼、確保できるだろうか。
事務手続きや、身の回り整備の慌ただしさに奔走しながらも、Sもここで決断した。
後に見るように、審議委員に就任後のSは、Fの口説き文句を忠実に実行して、超低金利が年金生活者や預金者に及ぼす影響を見据えて政策を論じることになる。
Cの世界では、金融政策の緩和を志向する政策スタンスをハト派、引き締め気味のスタンスをタカ派と呼ぶが、緩和の〃行き過ぎ〃を意識するSは、鮮明なタカ派となった。
最後の審議委員は旧法の任命委員から継続するG。
Gは元農林水産次官で、九五年十月に農林系の代表として任命委員に就いた。
任命委員の任期は四年だから、新法施行時点で、一年七カ月の任期を残し、自動的に審議委員に就任することになった。
ちなみにもう一人の任命委員で、商工業代表の元通産次官のKは、新法施行後の九八年四月七日までが任期。
一週間の審議委員というのもさすがにおかしいので、Kは旧法の委員のまま退任、後任としてUが四月八日から審議委員となった。
Gは戦後の農地改革の素地がすでに戦時中の農林省内で練られていたことに興味を持ち、同省入りした根っからの農水官僚。
経済局長の時代に、農林中央金庫の改組作業や、農水系金融機関の預金保険にあたる貯蓄保険機構のペイオフ対応の改正などを手掛けた経験を持つ。
次官退官後も農林漁業信用基金理事長を経て農林漁業金融公庫総裁に座っていたので、金融分野にはそれなりの自信もあった。
農水系の任命委員ポストは農水官僚OBの定位置。
だが、九五年に自分のところにポストが回ってきN銀に入って、Gが最初に驚いたのは、政策委のうち任命委員の位置づけが法的にもあいまいな点だった。
N銀の中にあるのか、外にあるのかが法律をどう眺めても不明。
各委員は個人スタッフが一人もいないため、自分で本を読んで勉強する以外になかった。
前任のNからはM総裁時代に、各政策委員に補佐役を付けるべきだと提言したら、Mに「N銀の事務局全体が政策委員の秘書でございます」と態熱に拒否されたとも聞かされていた。
聞いた時には、さすがのGも内心、驚いた。
前任の元農水次官の先輩、Nとは年次で十三年も開きがある。
「私では若すぎるのではないか」退任するNは当時、七十五歳。
他の民間委員も七十歳代で、いかにスリーピング・ボードとは言え、あまりに高齢ではまずいのではないかとの批判が政治家の間で上がったためという。
ただ、その背後では、すでに次にみるようなN銀法改正の胎動もあった。
Gの人事の一年ほど前の九四年末。
東京の安全と協和の二信用組合の破綻処理が表面化した。
実はこれがN銀法改正問題の発端だった。
二信組救済スキームでN銀特融のあり方が問われ、一方、翌九五年夏の兵庫銀行、木津信用組合、コスモ信用組合などの相次ぐ破綻で、大蔵省の金融行政への批判が高まった。
大蔵改革とN銀法改正を絡める形で、自民、社会、さきがけの連立与党は九五年夏、「金融・証券プロジェクトチーム」を発足させた。
Gが任命委員に就いた九五年の秋前後には、与党チームの「素案」なるものが世に流れ出たりもしていた。
任命委員に内定したGのところにも副総裁のFが説明に来た。
夏の連続破綻の余韻が残り、先行きのN銀法改正の方向がまだ定まらない中で、Fは「なかなか大変な状況です」とポッリと漏らした。
ここまで読んで、読者はFによる審議委員(GとTは任命委員だったが)集めの過程が、あの映画のシーンに似ていることに気づいたのではないか。
そう、K明監督の名画「七人の侍」で、志村喬の演じる勘兵衛が、村人に頼まれて野武士と闘う侍を集めて回る場面だ。
Fを勘兵衛役とみて、審議委員六人を合わせてちょうど七人。
新法施行後にいずれ総裁の座に就くのが確実視されていたFを支える副総裁二人はこの際、Fと一体と見なして配役なしとしよう。
N銀版「七人の侍」の他の配役を勝手に割り振ると、政策委で自説を断固として主張し、台風の目的存在となるNが、三船敏郎扮する菊千代で、求道家で宮口精一が演じた久蔵は理論派のUか。
Sは女性だが、K功が好演した勝四郎、Gは政策委のまとめ役的存在となったことを思えば、勘兵衛の「古女房役」として加T大介が演じた七郎次か。
さらに平八は、五郎兵衛は。
映画では七人は野武士の襲撃から村を守る役目だが、N銀版ではNをデフレから守るのが使命となる。
人選が固まる中で、N銀内部も盛り上がってきた。
九七年秋ごろからは、総裁と既存の委員の間で、新法に基づく政策委員会のリハーサル(模擬政策委)も何度か開いた。
政策変更を想定して意見を闘わせる練習。
仮の議事要旨も作成した。
事務方からは「九八年四月にはN銀のイメージ広告を新聞に出し、国民に新生・N銀をアピールしよう」というアイデアも飛び出した。
Cのイメージ広告とは。
そうした政策委形骸化の伝統だが、N銀法改正の論議が高まるにつれて、さすがに少しずつ変化していった。
ただ、政策委の面々が、法改正で意見を表明するとか、論議するなどの場面はなかった。
結果的にGは、前述のTとともに、旧法の任命委員と新法の審議委員を両方体験することになる。
暗転の乳み九八年一月十六日。
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